• トイレが水漏れになって私が学んだ重要な点

    小学校の国語の授業で、母親に手紙を書くという授業があった。私はその頃反抗期で、親への感謝の気持ちを形にするなんて、とてもじゃないけれど恥ずかしくてできなかった。しかもその書いた手紙を母の日に渡しなさいという先生からの脅迫めいた、私にとっては善意の押しつけとしか思えない命令が下され、嫌で嫌でたまらなかった。もちろん大人になった今では両親には感謝しているし、そんな風に思うこと自体思い上がっていたなと思うけれど、とにかくそのときの私はそんなことをするのがこっ恥ずかしかったのだ。とはいえ、表立ってそれを意思表示してしまうと面倒なことになるのはわかっていた。だから私は形ばかりの感謝の手紙を書きはしたが、結局それを小さくちぎってトイレに流してしまったのだ。証拠隠滅、完全犯罪。のはずだった…。

    次の日、私は先生に倉庫部屋に呼ばれた。この倉庫部屋、倉庫とは名ばかりの説教部屋である。両親に手紙を渡さなかったことがバレたのだろうか、とビクビクしながら倉庫に行った。すると担任の先生から、昨日下校後にトイレから水が溢れていたこと、そこには水に溶けきれなかった手紙の残骸が残っていたこと、そして殆どの文字は消えかかっていたものの、運の悪いことに私の名前が書いてあったところだけは鮮明に残っていたことを告げられた。もちろんトイレに異物を流してはいけない、よりにもよって大事な手紙を流すなんてと、それはそれは怒られた。そして先生から、再び手紙を書くようにと告げられた。しかもその手紙は先生が直接母親に渡すということまで。小学校5年生にして、人生のサイアクを体験したように思えた。その時私は学んだのだ。隠滅したいものは、トイレに流してはいけないということを。

    毎年母の日が近づくたびに思い出す、苦い思い出である。

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